Aug
14
2010

函館塩ラーメン

17:44 pm

函館のラーメンといえば、塩ラーメン。
塩ラーメンの原点は函館ラーメンだそうな。

写真は、地元の方、お勧めの福々亭の塩ラーメンです。
スープが透明であっさりでおいしいです。
具は、チャーシューとシナチクとネギというシンプルな一品です。

こちらがメニューになります。

発祥については諸説存在するが、開港地であった函館のラーメン発祥そのものが、日本におけるラーメン発祥に関わる。

1884年(明治17年)、当時の函館新聞に、函館船場町(現・函館市末広町)に開店した華僑の経営による洋食店、「南京御料理 養和軒 アヨン」4月28日付の広告にその発祥がうかがい知ることができる。広告には、「南京そば15銭」の記載がある。一般的にいわれる日本のラーメン発祥といわれるのが、東京浅草の「来々軒」が1910年(明治43年)に支那そばを発売したといわれるが、養和軒の「南京そば」がラーメンのルーツであるならば、函館がラーメンの発祥であるとも考えられる。ただ、この南京そばと現在のラーメンとの関連性を正確に示す、レシピなどの資料は発見されていない。

古くからの開港地であった函館には、集積する昆布などの海産物の買い付けに、多数の華僑が訪れ、当時の函館の人が彼らを「広東さん」と呼称していたことから、江南出身の華僑が多く、函館における支那そば(ラーメン)のまっすぐの麺と澄んだスープの特徴からも、ルーツは広東系の塩味の湯麺であることが推測される。1935年(昭和10年)のスナップ写真に「支那そば」笑福の文字が確認できるものがあり、この頃には「支那そば」を専門に扱う「ラーメン屋」が既に存在していた事がわかる。また、この「笑福」の隣で営業していた純喫茶「ミス潤」に残っている1932年(昭和7年)のメニューには、ケーキやみつ豆と並んで「ラーメン(支那そば)15銭」との記載があり、隣の笑福から壁の小窓越しにラーメンを客に提供していたという。また、当時を知る人は、このラーメンはまっすぐの細麺と、澄んだスープのあっさり味だったという。このように昭和初期の函館市民にはすでに「ラーメン」という言葉が市民権を得ていたと考えられる。

いくたびかの大火を経て、函館の繁華街は駅前の方に移動していったが、支那そばも自然と「ラーメン」と呼ばれるようになり、昭和20年代から30年代にかけて、大門と呼ばれる松風町地区にたくさんのラーメン屋台や、大八車の流し屋台が軒を連ねるようになった。区画整理やバブル時代の土地高騰等により、これらの屋台はほとんど見られなくなったが、札幌ラーメンのブームと共に、塩味の「函館ラーメン」の認識が高まり、市内各所に専門店が老舗、若手相まって点在するほか、流し屋台の派生である「バスラーメン」が市内を流している。

「函館ラーメン」という呼称はごく最近のもので、味噌味のラーメンである「札幌ラーメン」が顕在化した頃、いわゆるご当地ラーメンの呼称として、函館ラーメンなる呼称が生まれたと考えられる。

もともと函館においては過去から一般的に「ラーメン」もしくは「支那そば」と呼ばれていたものが塩味ベースのシンプルなものであったために、味噌ラーメン、醤油ラーメンの対語として塩ラーメンという呼称すらも自然発生したものと考えられる。札幌ラーメンの呼称が一般化したのと合わせて函館ラーメンという呼称がいつしかいわれるようになったと考えていいが、2001年(平成13年)に、北海道のラーメンという括りで北海道遺産に指定されたうえで、「函館ラーメン」が固有名詞になったということがいえる。

函館の中華料理店でメニューに「塩ラーメン」の文字が現れたのはごく最近である。それまでは、メニューにも「ラーメン」「醤油ラーメン」「味噌ラーメン」というように、函館ではラーメンとはそもそも塩味の透明スープが自明のものであり、あえて塩ラーメンとか函館ラーメンというような呼称をする必要はなかったが、味噌や醤油が顕在化するにつれ、これらと区別するためにあえて「塩」をつけてわかりやすくしたと言える。したがって、「函館ラーメン」というよう呼称は、ご当地ラーメンの呼称が一般化したときに、どこかでつけられたものであって、いわば観光客向けのものであるという意識が函館では強い。したがって地元においては「函館ラーメン」という呼称は一般的ではない。

Written by hbirds in: 北海道 | Tags: , , ,

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