日本バレエ発祥の地
七里ガ浜のR134号沿いに日本バレエ発祥の地があります。アーチ型のモニュメントと「日本バレエ発祥之地」と書かれた銅板のレリーフがあり、以前は「パブロバ記念館」として公開されていたようですが、1996年10月に閉館し、現在は、人手に渡って民家になっており、公開されていません。かろうじてR134号から、レリーフを見ることができるだけです。
ロシアから亡命したプリマバレリーナ、エリアナ・パヴロバ(後に日本に帰化)は、1928年ここにバレエスクールを開設しました。
エリアナ・パブロバは帝政ロシアのコーカサス地方チフリスの貴族の家に生まれましたが、1917年のロシア革命により母ナタリア、妹ナデジタと共に祖国を逃れ、日本にたどり着きました。来日の時期については、レリーフには大正9年と書かれてますが、大正8年とも言われており、はっきりしていないようです。エリアナ・パブロバはロシアでクラシック・バレエの訓練を受けていましたが、当時の日本はまだバレエを習おうと思い立つ人など皆無であり、来日当初は横浜で細々と社交ダンスを教えて生計を立てていたと伝わります。 しかしその後来日したアンナ・パブロワ一座の成功も手伝って徐々にバレエを習いたいと希望する人々も現れ始め、昭和2年(1927)に鎌倉七里ヶ浜にわが国初の稽古場を開き、妹のナテジタ・パブロワと共にクラシック・バレエを本格的に教授し始めます。
このパブロワの稽古場から上記服部智恵子のほか東勇作、橘秋子、貝谷八百子、近藤玲子、大滝愛子、 日本バレエ協会第2代会長・島田廣といったわが国バレエ界の初期を飾った人々が輩出されます。
まさに七里ガ浜のパブロワの稽古場はわが国バレエ発祥の地であり、エリアナ・パブロワの来日とこのスタジオのオープンがなければ、わが国バレエの芽吹きは更に10年後、すなわち昭和11年のオリガ・サファイアの来日を待たなければならなかったかもしれません。
現在は、母と妹と共に横浜山手の外人墓地で眠っているとのこと。
「 エリアナ・パブロバは大正9年、動乱の祖国ロシアを逃れて来日 。昭和2年、この地にバレエスクールを建てた。エリアナは自分自身の 舞台活動を通じて日本にクラシックバレエを紹介するとともに 、多くの舞踊家を育て、日本バレエ界の基礎づくりに貢献した 。第2次大戦後、日本のバレエ界の発展を支えてきた人達の多くは パブロバの薫陶のもとに育った 。昭和8年、日本に帰化。霧島エリ子を名乗ったが昭和16年軍属 として日本軍慰問旅行の途中、南京で戦病死。鎌倉市は市葬をいとなみ、 のち靖国神社に合祀された 。母ナタリア、妹ナデジタはエリアナを輔けエリアナの死後、その仕事をついだナデジタは昭和57年、この地で没した 。昭和61年11月吉日 エリアナパブロバ顕彰会」
お隣は有名なカレーショップ珊瑚礁です。今日は、とても寒い日でしたが気持ちよく晴れて冠雪した富士山も良く見えたためか、お店のテラスにもいっぱい人がいました。
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