日野俊基墓所
墓所は、源氏山公園の中、葛原岡神社の南にあります。日野俊基(ひの としもと、生年不詳 – 元弘2年/正慶元年6月3日(1332年6月26日))は、鎌倉時代末期の公家である。父は日野種範。
文保2年(1318年)に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、蔵人となる。後醍醐の朱子学(宋学)志向に影響を受け、鎌倉幕府討幕のための謀議に加わる。諸国を巡り反幕府勢力を募るが六波羅探題に察知され、正中元年(1324年)の正中の変で日野資朝らと逮捕されるが処罰は逃れる。京都へ戻るが、元徳3年/元弘元年(1331年)に発覚した2度めの討幕計画である元弘の変で再び捕らえられ、鎌倉の葛原岡で処刑された。
辞世の句は「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」
明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、1887年(明治20年)には俊基を主祭神とする葛原岡神社が神奈川県鎌倉市梶原に創建され、俊基自身にも従三位が追贈された。
要は、北条氏の鎌倉幕府を後醍醐天皇の親政にしようとして倒幕計画に失敗し処刑された人物です。
墓所の前には菊の花が手向けられていました。
苔むす墓石が時代を感じさせます。
日野資朝とともに後醍醐天皇の側近として討幕計画を先導し、山伏姿で諸国を回り、武士を組織したといわれています。
この俊基の墓は、南北朝時代の宝篋印塔です。
鎌倉幕府滅亡は、処刑の翌年とのこと。
終焉の地は、葛原岡神社のなかにあります。
葛原岡神社の祭神は、日野俊基となっています。
天皇の忠臣ということで祭られているのでしょう。

葛原岡神社の社殿です。
社殿は、明治天皇の思し召しにより、全国の崇敬者の協力で明治21年に創建されたという。
社殿の脇にある昇運の神龍です。
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