Oct
25
2009

龍口刑場

9:16 am

091024_073144龍口寺の入り口に建っている刑場跡地の碑です。刑場とは、処刑場のことで主に政治犯がこの地で処刑されたようです。
特に文永8年(1271年)9月12日に日蓮が処刑寸前に助命される事件(龍ノ口法難、日蓮宗では処刑直前に奇跡が起き助かったと伝わっている)は有名です。ほかにも元の使者杜世忠や、中先代の乱を起こした北条時行もこの地で処刑された記録が残っています。

091024_073111源頼朝が鎌倉に入ると、その裏鬼門方向の「七里結界」の外側にあったこの地は外縁としての位置づけが与えられ、処刑場となったようです。
ここの刑死者の遺骸は近くの常立寺に葬られたようです。杜世忠ら元使5名も常立寺に眠っています。


「七里結界」とは、密教で、魔障の侵入を防ぐために、7里四方に境界を設けること。
鶴ヶ岡八幡を起点にして裏鬼門(南西)方向の七里(浜七里)が腰越までです。その腰越が鎌倉(頼朝にとって)の精神的結界であり、その境界の外である龍口に刑場を設けたのでしょうか。

鎌倉と隣接する横浜市栄区に「野七里」という地名がある。地図で見ると、鶴岡八幡宮を中心に北東に野七里、南西に七里ケ浜がある。・・・二カ所は明らかに鬼門の艮(うしとら=北東)と裏鬼門の坤(ひつじさる=南西)の方角に位置する。つまり二つの七里は仏説の「七里結界」(魔障を防ぐ境界)を想定した「野七里」と「浜七里」の名残なのだ・・・

横浜市のHPによると、町名の由来は以下のように書かれており、七里結界とはまったく無縁のようですが・・・。

野七里一丁目・二丁目(のしちり) [昭和59年7月23日設置、住居表示]
昭和59年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名を採りました。この辺を切り開いて沢山の田畑が長く続いたので、「箱根八里」に因(ちな)んで「野七里」と呼ぶようになりました。

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