Jun
09
2011

龍口明神社

20:49 pm

龍口明神社は、鎌倉随一の古社です。

旧龍口明神社は、龍口寺の西隣にあります。

閉鎖されています。

立派な龍の彫り物がかかっていました。

こちらは遷宮された新しい龍口明神社です。
遷宮の経緯は、以下のとおり(Wiki)です。

もともとは龍口(たつのくち)の龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。鎌倉時代には刑場として使用された時期もあり、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたという。
大正12年 (1923年)、関東大震災により全壊、昭和8年 (1933年)に龍口の在のままで改築したが、 昭和53年(1978年)に、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。
なお移転後の現在も、旧境内は鎌倉市津1番地として飛び地のまま残っており、拝殿・鳥居なども、移転前の姿で残されている。



由緒は、龍口明神社のHPに以下のように記載されています。

欽明十三年(五五二年)、村人達は山となった五頭龍大神を祀るために龍口山の龍の口に当たるところに社を建て、子死方明神や白髭明神と言いました。これが龍口明神社の発祥と伝えられています。
養老七年(七ニ三年)三月より九月まで江の島岩窟中にて、泰澄大師が神行修行中夢枕に現れた神々を彫刻し、弁財天は江島明神へ、玉依姫命(長さ五寸(約15cm))と五頭龍大神(同一尺(約30cm))の御木像を白鬚明神へ納めたといわれています(これが御神体です)。この時、龍口明神社と名付けられたと伝えられています。
また、弘安五年(一ニ八ニ年)に一遍が龍の口にて念仏勧化を行った様子が、国宝『一遍聖絵』に描かれ、北条時政は江の島に参籠して、奇瑞を蒙り、龍の三つ鱗を授けられ、それを家紋としました(当社・江島神社の社紋も三つ鱗)。
いつの頃より六十年毎に還暦巳年祭が行われるようになり、近年では昭和四年・平成元年に賑々しく斎行されました。また、平成十三年には御鎮座千四百五十年祭が斎行され、この時と還暦巳年祭に限り五頭龍大神の御神体が御開帳され江島弁財天と共に江島神社中津宮に安置されます。
龍口明神社は昭和五十三年、龍の胴に当たる現在の地に御遷座され、日本三大弁財天として名高い江島神社と夫婦神社として人々に崇敬されています。



参道が折れていますが、折れた参道は、神社に奉られている怨霊が、外へ出られないようにするためのものだという考
えがあるようです。藤原時平の策謀により不遇の死をむかえ、大怨霊となった菅原道真が奉られる太宰府天満宮などで見られるとのことです。

立派な御神木がありました。

手水に龍が・・・・

こちらが本殿になります。

ひっそり紫陽花が咲いていました。

Written by hbirds in: 鵠沼界隈 | Tags: , ,

No Comments »

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment

You must be logged in to post a comment.

www.hbirds.net