常栄寺
常栄寺は日蓮宗のお寺で、妙本寺の右手を数分歩いた路地沿いにあります。
うっかりすると見過ごしてしまいそうです。
常栄寺の創建は1606年(慶長11年)、寺号は尼の法号「妙常日栄」にちなんだもの。日蓮が法難に遭った9月12日には、「ぼたもち供養」(龍口法難会)が行われています。
本尊は三宝祖師、両脇に鬼子母神像、桟敷尼像を安置しています。
かって源頼朝が寺の裏山に由比ヶ浜で行った「千羽鶴の放生会」を観覧するために桟敷(さじき、展望台)を設けたことから、のちに住んでいた尼は桟敷尼(さじきに)と呼ばれた。その尼が、幕府に反抗して捕らえられた日蓮が龍ノ口の刑場に連れて行かれる際、ごまのぼた餅をあげたことから、通称、ぼたもち寺と言われています。
◎桟敷の尼
桟敷とは、源頼朝が由比ヶ浜で行った「千羽鶴の放生会」を観覧するために設けられた展望台で、尼はその管理をしていたという。1203年(建仁3年)に起こった比企氏の乱によって滅びた比企能員の夫人の妹という説がある。
腰越の法源寺も「ぼたもち寺」と呼ばれるが、尼の実家の菩提寺であることから、尼にちなんで「ぼたもち寺」と呼ばれるようになったといわれる。
同じ腰越の本龍寺は、法源寺と開山が同じであることから兄弟寺と呼ばれているが、ここには比企高家の墓がある。この人物は比企能員の子で大学三郎かと考えられている(参考:龍口寺輪番八ヶ寺 妙本寺 鎌倉と日蓮)。
墓の前にある塚本柳斉の歌碑です。
これやこの 法難の祖師に 萩のもち ささげし尼が すみにし所
歌の作者・塚本柳斉は本名・塚本松之助といい、明治12年(1879)、千葉県に生れ、東京の哲学館(現・東洋大学)に入ったが、後、二松学舎に転じて卒業した。明治四十五年頃から豊島師範の国語・漢文の教師となり、約25年間教え、この間に多くの人の伝記を漢文で書いた。昭和14年(1939)に鎌倉由比ヶ浜に移住し、41年11月、88才で亡くなり妙本寺に葬られた。
その後日蓮は、奇跡的に処刑を免れたことから、「頸つぎのぼた餅」という逸話が生まれ、「御首継ぎに胡麻の餅」といわれるようになりました。
山門には龍口寺法難会のポスターが貼られていました。
9月12日の18時と深夜0時に、龍口寺ではぼたもち撒きが行われます。
本堂の左手に龍口法難の縁起が書かれてました。
龍口刑場で日蓮上人が首を刎ねられそうになった時、江ノ島方向からの光によって奇跡的に生還することができたそうです。
山門の左手です。
「たつのくち くびのおんざを ふしおがむ 婆のまごころ ぼたもち常栄寺」と書かれています。
山門の上です。
「これやこの 法難の祖師に 萩のもち ささげし尼が すみにし所」と書かれています。
扉の左は「日蓮宗橘」という名の紋で、周りを井桁で囲まれているので「井桁に橘」とも呼びます。
右の扉には、源頼朝の家紋とされる笹竜胆(ササリンドウ)の紋となっています。
※「笹竜胆(ササリンドウ)紋」
村上源氏の家紋とされています。清和源氏の源頼朝が使ったという資料はないものの、江戸時代から「源氏の家紋」とされているそうです。
今日は、日蓮が法難に会った9月12日ですが、山門をくぐると右手にテントが用意され、参拝客に緑茶とぼた餅が振舞われていました。ぼた餅は、1000円で販売もされてました。
こちらが、振舞われた「頸つぎのぼた餅」です。
9月12日 9:00~16:00に振舞われます。
本堂右手の頸つぎのぼた餅の縁起です。
囚われの身になった日蓮上人が龍ノ口の刑場に送られる途中桟敷の尼が仏の加護を願いごまのぼた餅を献上しているところです。
◎ぼた餅とおはぎの違い
どちらもお彼岸に供えるものですが、季節の花になぞらえて、春のお彼岸に供えるのは牡丹餅、秋のお彼岸に供えるのはお萩と呼んだ。
ぼた餅は、牡丹餅が訛り、いつのまにかそう呼ばれるようになったそうです。
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