本覚寺
本覚寺(ほんがくじ)は、鎌倉にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は妙厳山。本尊は釈迦三尊像。
鎌倉十三仏札所の三番目(文殊菩薩)です。
仏教では、人が亡くなると、十三の仏様が姿を変えた十三王によって裁決されるとされています。
現世のうちから、お参りをして、功徳をつみ、より良く生きようとするのが十三仏信仰です。
十三仏信仰は南北朝の時代に成立したとされ、鎌倉の十三仏霊場は、1983年(昭和58年)に定められました。
また、眼の病気を治してくれる寺として知られ、「日朝さま」の愛称で親しまれています。第二世の日朝が眼の病気を患ったとき、法華経と自らの回復力によって治癒したというのがその由縁とのこと。境内で目薬も売っているようです。
正月は「初えびす」で賑わい、「福娘」がお神酒を振舞ってくれるようです。
元日から三が日の間は、「鎌倉えびす」で1月10日は「本えびす」といわれ、餅まきや福餅が配られるようです。福娘は毎年、檀家の中から選ばれるそうで、2010年の本えびすでは17人の福娘がいたそうです。
本えびすは、午前11時から夷堂(えびすどう)で祈祷が行われ、正午からは福娘による「福餅つき」が夷堂前で始められ、その後、「福餅」が参詣客に振る舞われます。
振る舞い用のお餅の数は、千人分はあるとか。
来年の1月10日は鎌倉・本覚寺の「本えびす」に行ってみようかな。
お正月は、「にぎり福」 (500円)も売られています。
親指の先ほどの手作りのお守りで、頭の上に「愛・健・財・学・福」の五文字の内、一文字が書かれていて、毎日握ると御利益があるとのことです。
仁王門横の石碑です。
東身延と彫られています。日蓮宗総本山身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を身延山への参詣が困難な老人や女性のために、分骨したため「東身延」とも呼ばれています。
本覚寺(ほんがくじ)の仁王門です。境内の主な伽藍は、だいたいが近代になってからの創建で、現存する建物の中でもっとも古いのは山門(仁王門)で江戸時代の創建ということです。
若宮大路に向けて入り口を作ってはいけない規則があったため、本覚寺は小町大路(辻説法通り)に入り口を向けています。
向かって右側の仁王像です。開口の阿形(あぎょう)像です。
こちらは左側の仁王像です。口を結んだ吽形(うんぎょう)像です。
これらの仁王像もかなり古いように見えます。
江の島鎌倉七福神のひとつ「恵比須様」を祭っています。
山門にこのような大きな提灯が飾られています。
本堂遠景です。
この写真は龍口法難会の日(9月12日)に撮ったものですが、妙本寺(本覚寺の山門を出て道路を渡って直進するとすぐに妙本寺があります)はこの日にあわせて特別開帳を行なっておりましたが、本覚寺は一切触れていませんでした。
鐘楼です。
この鐘楼についている梵鐘には応永17年(1410年)銘があり、日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられている(供をしていた石渡造左衛門が一人で担いで持ち帰ってきたと伝えられている。)そうです。
大晦日は先着108名まで除夜の鐘をつけるとのこと。
境内に建つ夷堂は、縁結びや商売繁盛の神様として参拝客が多いとのこと。
夷堂はかつて現在の本覚寺の山門がある場所にあり、「源頼朝」が鎌倉幕府の開幕の際に幕府南西の裏鬼門にあたる方向の鎮守として七福神のひとつである夷神を守り神として祀ったのが起源とされいてます。また門前の滑川は荷揚げの港となり、市も立ったことから市の守護神としても尊敬されていたようです。
配流地の佐渡から鎌倉へ戻った「日蓮」が一時、この夷堂に滞在し辻説法などの拠点としていたとのこと。
夷堂には佐渡配流後の日蓮が、放火された松葉ヶ谷に代わる住みかを求めていると夷神の化身が日蓮を夷堂に招いて松になって消えたという伝承があるそうです。
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