片瀬諏訪神社
諏訪神社(Wikipedia)
諏訪神社(すわじんじゃ)は、長野県の諏訪湖の両岸にある諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社である。諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)という。諏訪信仰は日本全国に広まっており、特に北条氏の所領に多い。諏訪神社の数は全国で約25,000社である。鹿児島県では祭神名の建御名方命から南方神社(みなかたじんじゃ)としているものもある。
諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる建御名方神とその妃である八坂刀売神で、他の諏訪神社もこの二神を主祭神とする他、諏訪大神と総称することもある。諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌に神霊が移され、各神社ではこれを神体としている。また、中世には狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝を受ける[1]。これらは諏訪大社の山神としての性格を表している。
諏訪大社では6年に一度、御柱と呼ばれる4本の杭を立てる御柱祭が行われるが、全国の諏訪神社でも同様の祭が行われる。
岡田荘司らによれば、祭神で全国の神社を分類すれば、諏訪信仰に分類される神社は、全国6位(2,616社)であるという。
神奈川県神社庁のHPから
当社は養老七年(七二三)三月に信濃国より諏訪大社を勧請したものであるが、これは諏訪大社が他郷へ御分霊した中で最古のものであるといわれている。弘仁三年(八一二)大学寮・近江伊豆の国司・大江政文が神徳を感じ、下社を字宮畑の地より鯨骨の湖畔に移して修理し又、天長三年(八二六)村岡五郎義員が上社を諏訪ケ谷より、字浪合の山腹に移して改修を営んだ。更に天慶三年(九四〇)五月、伊豆の守護職が両社に修理を加え、建久二年(一一九一)七月、台明により社領五反歩の寄進があった。貞和三年(一三四七)七月には別当玉蔵院、聖護院宮に申して社殿を再建した。その後、上社は安永元年(一七七二)九月に、下社は嘉永元年(一八四八)七月に改築された。明治六年村社に列せられ、昭和十六年下社を改築、社務所を新築した。更に昭和天皇御在位六十年奉祝事業として篤志者甘糟豊太郎、甘糟三郎、甘糟四郎三代により上社の御改築が行われ、一間社流造の立派な御社殿が完成された。
下社です。
諏訪神社は全国各地にあるが、上社と下社があるのは、信州諏訪大社とここ片瀬諏訪神社だけです。
こちらが上社になります。
上社は、江の島道(えのしまみち、旧藤沢宿から龍口を経て江の島に至る旧道。)沿いに建っています。
急な階段があります。




