Nov
01
2009
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小動神社

11:20 am

091101_073652小動神社(こゆるぎじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市腰越の小動岬にある神社です。R134に面してこのような鳥居が出迎えてくれます。旧腰越村の鎮守社とのこと。

文治年間(1185年 – 1189年)の源平合戦の際、佐々木盛綱が父祖の領国であった近江国の八王子宮を勧請したものと伝え、江戸時代までは八王子社と称していた。元弘3年(1333年)5月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したと伝えられる。江戸中期には、小田原藩主・大久保忠真が扁額を奉納した。
明治元年(1868年)、神仏分離に伴い、地名をとって小動神社と改称し、村社に列格した。




091101_073741社殿です。


091101_073758紅白の鳥居が仲良く並んでいます。
左が金毘羅宮、右が稲荷社。社殿は一体になっています。


091101_073817海神社です。近くに日露戦争の戦勝記念碑などもありました。江ノ島に児玉神社が祀られたのも、江ノ島を遠望する長谷に別荘を持っていたという縁があるようで、この戦勝記念碑も同様の縁からなのかもしれません。


091101_073826奉納 龍王海神と読めます。ここでいう海神とは、亀のことなのでしょうか。


091101_073847大六天社です。


091101_073900奥には、このような祠があります。


091101_073922境内の先には、ちょっとした展望スペースがあり、このように江ノ島を臨むことができます。
太宰治が鎌倉郡腰越町小動崎で田辺あつみ(本名:田部シメ子)と心中未遂(田部シメ子は死亡)をおこしたのは 昭和5年11月28日夜半のことでした。『“帝大生と女給情死を図る”青森県北郡金木町素封家同郡県会議員津島文治氏弟東京市外戸塚町二五〇常盤館止宿帝大生修治(二二)及び銀座十字屋楽器店裏ハリウッド・バー内田邉あつみ(一九)の両名は二十八日朝家出同日午後五時頃相州腰越小動神社裏海岸でカルモチンをのみ情死を計り二十九日朝八時頃苦悩中を付近の漁師が発見女は間もなく絶命男は腰越恵風園に収容したが一命は取止めるらしい』、と昭和5年11月30日(日)の東京朝日新聞朝刊に報道されています。


091103_113936太宰治が運び込まれた恵風園です。
現在は、恵風園胃腸病院となっています。

091101_073959社殿脇の狛犬のアップです。

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