Jun
18
2011
0

星の井

14:24 pm

極楽寺の切り通しにある虚空蔵堂の下にある「星の井」です。


「星の井」は、別名「星月の井」又は「星月夜の井」と呼ばれ、鎌倉十井の一つとなっています。
 行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂といわれます。
 「星ノ井」は、鎌倉江ノ島街道の極楽寺切通(極楽寺坂)の下にあるということで、昭和初期まで旅人に飲料水として売られていたそうです。


この井戸は鎌倉十井(じゅっせん)のひとつです。星月夜(ほしづきよ)の井とか、星の井とも言います。この地域の名前は坂の下です。昔この付近は、木が多く昼でも暗いほどだったので、星月谷(ほしづくがやつ)と言いましが、その後、星月夜に変化しました。 井戸の名前は、多分ここからきたのものです。またここの土地の多くの老人は、次のような話を信じています。昔はこの井戸の中に、昼間でも星の影が見えたので、この名前が付いていたが、近所の者が誤って包丁を落してからは、星影がみえなくなったという話です。 1600年6月に、徳川家康(とくがわいえやす)が京都より帰る途中、鎌倉を通り、この井戸を見たことがありました。その時以来世によく知られるようになったのです。水質は清く冷やかで、飲むのに最適です。

Sep
19
2010
0

虚空蔵堂

7:38 am

極楽寺切通しを長谷方面から入ると、右手に「南無虚空蔵菩薩」と書かれた白いのぼりがびっしりと並んだ石段が現れます。その上にあるのが虚空蔵堂。入り口の道路脇には、鎌倉十井のひとつとして知られる「星月夜の井」があります。

虚空蔵堂は道路を挟んで向かい側の成就院が管理していて、「明鏡山円満院星井寺」と称します。本尊は、虚空蔵菩薩で奈良時代に行基が彫って祀ったと伝えられています。鎌倉時代には、源頼朝の命により秘仏とされ、35年に一度だけ開帳されていたとのこと。

このお寺は、天平時代(聖武天皇の御宇)「行基菩薩」によって、鎌倉十井の一つである星の井戸との因縁により建立されました。
その後数百年を経て「源頼朝公」もこの菩薩を祟敬し、ご本尊虚空蔵菩薩像を秘仏として三十五年に一度だけ開帳し衆生にそのお姿を拝することができるとされてまいりました。近代に至り、熱心な信仰者の願望により、毎年一月・五月・九月の十三日に開帳し「護摩供養」をとり行っております。



星の井水神という小さな祠もありました。

「虚空蔵」はアーカーシャ・ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 元々は地蔵菩薩の地蔵と虚空蔵は対になっていたと思われる。しかし虚空の空の要素は他の諸仏にとって変わられた様で、また地蔵菩薩の独自の信仰もあり、対で祀られる事はほぼ無い。

この菩薩は『日本三虚空蔵』のうちの一体で大変貴重な仏像であります。
虚空がすべてのものを含蔵するように 無量の福徳と知恵をそなえ、常に人々にこれを与え、願いごとを満足せしめ下さる仏様といわれ、そのお姿は、金色で容顔麗しく、喜悦の相をなし、宝冠の上に五仏があり、左手には白蓮華を持ち、蓮華の上に如意宝珠があり、右手は五指を下げ掌を外に向けております。わが国では古くから福徳・知恵を授けられ、求聞持の祈りに霊験があるとして、この菩薩の信仰が盛んに行われてまいりました。
また、丑年生まれ、寅年生まれの人々のお守り本尊であります。この菩薩を拝することによって頭脳は明晰となり、過去、現在、未来のあらゆる方向におられる一切の仏様を拝んだのと同じ功徳があると 、仏様の口から約束され疑るべきではないといわれています。一事が万事でこの仏の御利益を数え立てたら際限がありません。この仏を信ずるものは、この世でも、来世でも救済されることまちがいなしといわれております。

境内には「舟守地蔵」も安置され海上安全・大魚満足・身宮安泰・海難除・水難除・その他船舶・水に関係した一切の事業に従事しておられる日地人に大きな功徳をお授けになるお地蔵様 として近郷近在の人々に深く祟敬されています。


その昔より願主の心清く精進すれば願い事を数日で成就させていただけるありがたいお地蔵様とも言い伝えられています。

ご真言  おんばざら あらたんのう おんたらく そわか

それにしても、さい銭泥棒とは嘆かわしいことです。

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