賀来神社神幸祭
祭囃子が聞こえてきたので覗きにいったら、地元の賀来神社の神幸祭でした。
囃子屋台で太鼓をたたく子どもたち。
神輿甚句を歌う女性。
神輿甚句を歌う少年。
昨日の片瀬諏訪神社の浜降式で歌っていた少年と同一人物のように思います。
上の女性と交互に歌っておりました。
担ぎ手たちです。
今年は、こんな小さな神輿も登場です。
祭囃子が聞こえてきたので覗きにいったら、地元の賀来神社の神幸祭でした。
囃子屋台で太鼓をたたく子どもたち。
神輿甚句を歌う女性。
神輿甚句を歌う少年。
昨日の片瀬諏訪神社の浜降式で歌っていた少年と同一人物のように思います。
上の女性と交互に歌っておりました。
担ぎ手たちです。
今年は、こんな小さな神輿も登場です。
片瀬諏訪神社の毎年8月27日に行われる例祭の神幸祭を今年も見に行きました。
ちょうど山車が龍口寺前で整列するために方向転換するところです。
屋台では、このように熱演している若者もいました。
早朝の浜降式の担ぎ手もこの屋台のお囃子も若者中心に行われていて、本当に感心します。
神輿の準備をしています。結構大変な作業です。30分以上かかっていたと思います。
神輿の出発前に子どもを神輿の下をくぐらせています。
健やかに育つようにとの祈願なのでしょう。
18時になり、いよいよ神輿の出発です。
手前の少年は、朝、浜降式の際に甚句を歌っていた少年かと思われます。
今日は鵠沼伏見稲荷神社の神幸祭で町内で神輿渡御が行われました。
囃子屋台ですが、写真のようにハンドルがついていて運転手がいます。もっともエンジンがついているわけではなく、ロープで引っ張って動かしています。
白幡神社の例祭を白幡まつりと言うようです。
以下のスケジュールになっていますが、仕事があるので、日曜日(7/18)にお参りしてみました。
15日 出御祭
日曜日 神幸祭 義経・弁慶神輿渡御
19日 野外映画の夕べ
20日 宵宮祭
21日 例祭 神酒所巡拝 万灯みこし渡御 還御祭
20日午後から21日午後10時まで境内露天出店午後12時30分~午後5時 神幸祭 義経・弁慶の2基のお神輿が町内を練り歩きます。
白旗神社の由緒は、神社のHPに以下のように記されてます。
運動会の鉢巻の紅白も源平戦からきているのかもしれませんね。
白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。
本殿です。
現在の社殿は、文政11年(1828)から7年をかけ、天保6年(1835)12月に完成たとのこと。本殿、弊殿、拝殿を連ねた典型的な流権現造りとなっています。
御社殿に掲げられた「忠友殿」の扁額。
幕には源氏の紋章である笹竜胆(ささりんどう)です。竜胆の葉を五枚並べて、その上に三つ花が描かれています。
鎌倉のぼたもち寺として知られる常栄寺の門にも笹竜胆の紋章がついています。
白旗神社には義経、弁慶の二基の神輿があり、宝暦(ほうれき)7年(1757)の6月よりこの二基の神輿により神幸祭が斎行されているとのこと。心柱が無く四方の柱で屋根を支えている珍しい鳳輦(ほうれん)型。総檜造りで漆塗りの神輿です。
こちらは、義経神輿です。
義経(源氏)の紋章がついています。
こちらは弁慶神輿になります。
輪宝と呼ばれる弁慶の紋章がついています。
今年は震災への配慮なのでしょうか、かつぎ手なしの巡幸ですが、途中で台車のタイヤがパンクしてしまったようです。
小動神社・天王祭 神幸祭の午後の部です。
午後は、江の島の八坂神社からの御神輿を龍口寺前でお迎えし、腰越通りを小動神社の御神輿と並んで小動神社に向います。
14時ちょっと前に龍口寺前で腰越地区の五ヶ町の役員が神主さんとともに並んで出迎えます。
藤沢方面から八坂神社の行列がやってきました。江の島から州鼻通りを通ってやってくるのでしょう。先導するのは、小動神社の囃子屋台二台です。
こちらは、神戸町の囃子屋台です。
次に土橋町の囃子屋台が続きます。江の島の八坂神社まで迎えに行って、連れてくるというシチュエーションなのでしょう。
錫杖(しゃくじょう)、小太鼓、三味線、横笛、大太鼓などが通りすぎてゆきます。
両御神輿の競演です。
「どっこい」、「どっこい」、「どっこいそーりゃ」の掛け声とともに両神輿が揺れます。
相州神輿甚句を肩車された子供が歌います。ボーイソプラノの良く通る声です。
町内の掲示板に張ってあった小動神社・神幸祭のルート図・スケジュールです。
江ノ島の八坂神社の御神輿と合流するのでちょっと分かりづらいですが、五ヶ町から江の島の八坂神社に向かい戻るルートと同じく五ヶ町から小動神社、前浜へと向かっていくルートの二つのルートが描かれており、この二つのルートが腰越通りで交わっています。
つまり、八坂神社と小動神社二つの神輿が腰越通りで競演することになります。
江の島の八坂神社の海中渡御を見に行っていたので、腰越通りに入ったのが11:30頃です。小動神社の海中渡御もほぼ同時に行われて、神輿は腰越通りに戻ったようです。
右手は中原町の人形山車です。
片瀬諏訪神社の毎年8月27日に行われる例祭の神幸祭(パレード)を見に行きました。
神幸祭には、行き(出御祭)と帰り(還御祭)があるようですが、見に行ったのは、帰りの方で、龍口寺→R467→諏訪神社のルートで龍口寺前を18:00に出発します。
5町区屋台、宮神輿、5町区山車の順で進みます。
神幸祭(しんこうさい)は、神霊の行幸が行われる神社の祭礼。神幸式(しんこうしき)とも。多くの場合、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移し、氏子地域内への行幸、御旅所や元宮への渡御などが行われる。神輿や鳳輦の登場する祭礼のほとんどは、神幸祭の一種であるといえる。
神幸祭は「神の行幸」の意味で、広義には行幸の全体を、狭義には神社から御旅所などの目的地までの往路の過程を指す。後者の場合は目的地からの神社への復路の過程に還幸祭(かんこうさい)という言葉が用いられる。神幸祭・還幸祭と同じ意味の言葉に渡御祭(とぎょさい)・還御祭(かんぎょさい)という言葉があり、渡御祭も広義には行幸(渡御)の全体を指す。
出発前に五町の山車と囃子屋台が集合します。
手前が囃子屋台、奥が山車です。
とても賑々しい光景です。
東り町の山車です。
下の谷の山車です。
西浜区の山車です。
西方町の山車です。
新屋敷の山車です。
龍口寺の門前は、江ノ電のルートになっていて、こんな風にすぐそばを江ノ電が通過します。
お神輿の出発前に、赤ちゃんをお神輿の下をくぐらせていました。
お神輿と江ノ電。
いかにも湘南らしくて、なかなか風情があります。
山車には、他に小さい子供たちが乗り込んでいます。
ちょっとびっくり顔のカメラ目線でいい感じ。
それにしても、立派な彫り物です。
この祭りの見ものは、山車を勢いよく回転させる「ぶん回し」です。
文字通り、山車をぶん回すことです。
写真のように、数人の若者が山車を掴んで回転させます。
公園の遊具のように良く回転します。
山車はこのように台座と山車の2層構造になっていて、台座に車輪がついています。山車を曳いているときは、回転しないように金具で固定しています。
ぶん回しは、神社につくまでの間に4回行われるようです。
横浜銀行片瀬支店前、三浦藤沢信用金庫片瀬支店前、諏訪神社前、片瀬脳神経外科病院前で行われます。
結構な遠心力、乗っている人は、飛ばされたり、目が回ったりしないのでしょうか。
こちらは、二回目のぶん回しです。
一回目のときより、だいぶ暗くなってきています。
見た目は暗い方が幻想的で良いのですが、フラッシュなしカメラでは苦しくなります。
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